結婚相談所に登録して婚活暦1年過ぎた頃、私はジリジリと焦り始めました。
お見合いで、すでに20人以上の人と会っているのに、今だに結婚が決まらない私…
なんだか婚活疲れしてきた(涙)
30歳までに結婚って決めていたのに、気づけば33歳になってしまったし…。
このまま結婚できなかったら、どうしよう。
友達のA子も大手企業の同僚と結婚したし、婚活仲間のB子も、一緒に婚活パーティに行っていたのに、先月ゴールインしたし…。
なんで、私ばっかり上手くいかないの!
友達と何が違うのよ。
自分で言うのもなんだけどサ、私、ルックスだって、学歴だって、会話力だって、お洒落だって、そこそこな女性だと思うんだよね…
なのにさ、なのにさ、私にふさわしい人が現れない!
焦りと苛立ちをぶつけるように、担当のアドバイザーに相談にしてみた。
すると彼女は、「気持ちが雑然としているみたいなので、少し整理をしましょう」と言って、スクランブル交差点みたいに、人と人が交錯して無法地帯状態になっている私の心を交通整理をしてくれた。
「まずはポイントを絞りましょう。
一番、あなたにとって優先したいポイントは何ですか?」
「年収?学歴?性格?ルックス?」と聞かれて、「うーん」と黙り込んでしまった。
正直どれも譲れない、そんなに高望みしているつもりはないけど、そこそこの条件をバランスよく兼ね備えている人がいいのが本音。
でも、そういう人って、今までのお見合い相手の中にいなかった…。
うーん、うーんを繰り返した後、出てきた言葉が
「結婚式を挙げたとき、友達に恥ずかしくない相手。あと、親が納得してくれる条件の人」という言葉だった。本音だった。
するとアドバイザーは逆に「うーん」と困った顔をすると、
「○○さんは、自分が幸せになりたいのですか? それとも人から幸せそうに見られることが大事なのですか?」と言われた。
う、痛いところをついてくる。
そうかも知れない。
私はいつも人の評価が気になるのだ。
A子の旦那さんやB子の旦那さんに見劣りしない男性、「素敵な人、捕まえたじゃん!」って、言われるような男性を見つけたいんだ。
アドバイザーはさらに続けた。
「人をマウンティングするのって疲れませんか?
人をマウンティングする人、つまり人を裁いている人って、実はね、自分のことも無意識に裁いているんですよね。
初めて会った人、職場の人に対し…無意識にこの人は、私より上だとか、下だとか、いつも評価してるってことないですか?
いや…、○○さんだけじゃないと思います。
誰でも自然とそういうことしちゃう時ってありますよね。
でもね、無意識に人を評価をしている人って、逆に自分も常に人から評価されているって思っているんですよね。
この人に勝ったとか、負けたとか…それで優越感を覚えたり、劣等感を感じたり…
そういうのに本当は○○さん自身が、疲れているんじゃないですか?」
…そう。その通りだ。
でもさ、婚活って、そういうもんじゃないの?
婚活の活は「勝つ」こと。学校の成績とか人事の評価とかと同じように、評価を勝ち取るものだと思っていた。
でもね…、とアドバイザーは続けた。
「幸せの価値観の基準は自分にあると思うんですよ。
人の評価から自由になれたときに、本当の自分の基準が見えてくるんじゃないですか?
すべての条件を兼ね備えた人なんていませんよ。
○○さんも、誰からも好かれようなんて思わなくていいんです。
完璧じゃなくていいんです。
お相手も完璧じゃない、自分も完璧じゃない。
まあ、それでいいじゃない…みたいな、ゆる~い部分が前に出てくると、きっと上手くいくと思いますよ。」
アドバイザーの言葉を聴いて、なんだか肩の力が抜けてきた。
そっか、私に必要なのは、「ゆるさ」なのかも知れない。
ゆるさ…すなわち、自分を許すこと、相手の許すこと。
自分の欠点も相手の欠点も、適当に目をつむったり、ゆるしながら、「ま、こんなものか…」で笑っていられるような…そんな関係だったら、きっと結婚した後もラクちんな関係でいられるだろう。
「きっとね、男性も同じこと感じていると思いますよ。
○○さんとお見合いしていても、どこか自分が値踏みされているみたいだなって。
なんか疲れる女性だなぁって。」
…ドキッ!きっと、そうだ。
私は勝手に男性を値踏みして、自分がそこそこな女なのに、私に見合った人がいない!なんて、傲慢なこと思っていた。
だけど…実際はそんな私の態度が鼻につき、向こうからお断り!って男性もいたのだろう…。
「男性ってね、職場でもどこでも評価にさらされているんです。疲れているんです。
せめて、家にいる時ぐらいは評価にさらされたくないんです。
家庭は、評価のない聖域のような場であって欲しいと願っているんですよ。」
なるほど、能力主義で評価にさらされている現代人にとって、唯一のサンクチュアリ。
それが家庭なのかも知れない。
一緒にいて、ラクな人。
私をあれこれ評価せず、ありのままを受け止めてくれる人がいたら、私もきっと、それだけで安楽な場、幸せを手にすることができるだろう。
そう…、A子やB子、親の評価なんて、気にしなくていいのかも。
いや、もともと、それほど人は私になんか興味はないのだ。勝手な自意識過剰ってやつ!?
評価させたい人には、評価させておけばいいんだし…。
「ありがとう。
なんかラクになりました。
そう…私、ラクな人がいい、一緒にいてラクな人がいい。
それが一番の基準かな。
私を評価せずに、そのまま受け止めてくれて、一緒にいて疲れなくて…それで充分なのかも…。
あ、でも最低限、生活に困らない程度の収入は欲しいかな…。
それぐらい望んでもいいよね?」
アドバイザーは、にっこり微笑んでいた。
ゆるくていいんだ。
評価はゆるいほうがいいんだ。
そのほうが、私もラクになれるんだ。
そんな風に、きっと私がゆる~く生きれるようになったら、それに合う人が見つかる気がする!
数ヵ月後、A子とランチに行ったとき、
「なんか雰囲気が変わったね。なんとなく、目元がやわらかくなった気がする」と言われた。
やった!と思った。うん、私、変われる! 結婚に近づいている。
そう確信できた。
春はもう近い…。