「会ってほしい人がいるんだけど。」
朝食を作っている私のそばに来て、珍しく早起きをした息子が言いました。
「やっとその気になったのね」おつき合いしている女性がいるのは分かっていましたので、
早く何か教えてくれないかと期待していたのです。「良かったわ」と言いながら、
ふと「桜の呪い」という言葉が浮かびました。
この家は夫の生家で、今は私達夫婦と息子が一緒に暮らしています。
元々は、夫の曽祖父母がこの場所に家を建てたのですが、
その敷地には、建てる前から、桜の木があり、家を建ててからも、
毎年、本当に美しい花を咲かせていたそうです。
家の庭で花見ができると、大切に手入れもしていたようです。
祖父母の代に、子供が六人子供が生まれると十人ほどの大家族になり、
家が手狭になったことから、家を建替えることになりました。
しかし、家を大きくするためには、どうしても桜の木が邪魔になったため、
躊躇なく、その桜の木は切り倒してしまいました。
そして、木が倒れるときに、キューンという泣き声のような音がしたそうです。
ここから、「桜の呪い」が始まったと、姑が話してくれました。
新築間もないその家が、もらい火で火事になり、半焼してしまったのですが、
燃えてしまったその場所は、ちょうど桜の木があったところ。
「花の季節になると、いつも良くないことが起こるのよ」
祖父の兄弟が相次いで急死したのは三月と四月、曽祖父が亡くなったのも四月、
曾祖母は三月、祖父は三月に入院して、祖母が階段から落ちて大怪我をしたのも四月、
それ以外にも、交通事故や大病、離婚など、身内に起こる不幸は、
いつも桜の季節だから、三月、四月は気をつけなさい。
姑はお嫁に来てから、そう聞かされたと言うのです。
夫に聞いてみると、「知らないなぁ。そんな話は。だいたい今の家は、
自分達で建て直した家だし、桜がどうこうは関係ないよ」と気にもしていませんでした。
けれど、私は、「桜の呪い」と言う言葉を忘れることができずにいました。
せっかく、息子から待ちに待った嬉しい言葉を聞いたのになぜと、自分でも分かりませんが、
今、正に満開の桜の季節、「桜の呪い」を思い出してしまったのです。
息子に「良くないことが起こったらどうしよう。」
それというのも、結婚する様子が全くない息子のことが心配でたまらず、
前の年の桜の季節、結婚相談所に足を運んだのは私だったからです。
結婚相談所というものに、夫は懐疑的でしたが、
私の様子を察したのか、「話だけ聞いてくれば・・」と、送り出してくれました。
39歳の息子に良縁がなく、女性とおつき合いする機会もなさそうなこと、
親として子供の将来を思うと不安でならないこと、
結婚の話を避け続ける息子のことなど、
スタッフの方は、とりとめもない、愚痴のような私の話を聞いてくれました。
「ご心配ですね。ご本人様の気持ちも大事ですが、一日でも早く、何か働きかけをした方が良いですよ。」
と励ましてくれました。
私が行動しなければという想いで、その日の内に、息子に代わり入会登録をしました。
しかし、帰り道、ひらひら零れる桜を花びらを見て、胸の重苦しさを感じ、
夫の非難するような顔、息子の嫌がるそぶりを想像してしまいました。
帰宅した私を迎えた夫に、自分の一存で入会した、母親としてできることをしたと、
一気に伝えると、「本人次第でしょ。あなたの気持ちを伝えて、きちんと説明して納得してもらおう」と、
夫は好意的な反応でした。
一番以外だったのは、息子本人で、この後は全部自分が決めていくので、
詮索したり、口を出したりしないと約束してくれるのであればと、あっさり了解したことです。
その後は、何がどうなっているのか分からないまま、
かといって息子に尋ねることができないまま、相談所の入会から月日が過ぎていきました。
そして、花見をするなら、今週末が一番とニュースになったその週末に、お相手の女性が、
訪ねてきました。良く笑う、明るく可愛らしい人でした。それから話が順調に進み、
その秋には挙式となったのです。
結婚が決まったとき「お母さん、ありがとう。あのとき相談所に行ってくれたお陰だと思ってるよ」と
息子に言われ、本当に良かったと熱いものがこみ上げてきました。
巡り巡って桜の季節、息子夫婦には二人目の子供が生まれました。
待望の女の子です。可愛い孫と幸せそうな息子夫婦をみていると、
「桜の呪い」を気にしていた自分が恥ずかしく、可笑しくもあります。
あんなに美しい花を咲かせ、人の心を喜びで満たす木が「呪い」だなんて。
今は、「桜の季節には、良いことがあるのよ」と、お嫁さんに話しています。